ねんげ こううんのかい
この度、長年の夢が叶い、福聚寺の枝垂れ桜の花から採集した酵母を使い、お酒を醸造することに成功しました。まずは亀岡酒造さんの長年の酒づくりの技術と、自然に向ける思いに心からの感謝を捧げたいと思います。又、亀岡酒造さんが「愛媛」県にあることも、「愛媛 めごひめ」の実家田村家菩提寺である福聚寺とすれば深い縁を感じております。
福聚寺の枝垂れ桜は、田村家三代のお殿様、三代目に当たる清顕公の命によって植えられたものと想像されています。愛媛の父親です。その時期、清顕公は町中の寺社および四十八の館に同様の枝垂れ桜を植えたらしく、どう考えてもそこには滝桜を中心に据えた「町づくり」の意識があったものと驚かざるを得ません。
大正5年、福聚寺には檀家さんの有志4人の方々により、さらに350本の染井吉野が植樹されました。禅寺に桜は似合わないという意見もあるかもしれませんが、自然と郷土を愛でる心根が、その時たしかな形で根付いたのだと思います。
しかし、長年の風雪に耐えてきた桜たちにとって、現在の世の中は必ずしも棲みやすいものかどうか、むろん寿命もあるのでしょうが、あちこちに手入れの必要を感じる桜が目立つようになってきました。これはひとり桜や福聚寺だけの問題ではなく、三春全体、ひいては日本人すべての自然観にも問いかけているような気がしています。
今回できあがりました「拈華」は、微力ながらもそのような自然とのおつきあいのために役立てたい。そう思って、この企画を進めてまいりました。
自然とはいえ、野放しのままつきあえるほど、それは生やさしいものではないような気がします。最近では、アマゾンのジャングルでさえ、その昔計画的に植林されたという説まで出ています。むろん、そこまでのことはできるはずもないのですが、せめて桜に頂いたこのお酒の御利益(ごりやく) は、お寺や町の桜たち、さらには心地よい自然とのおつきあいに役立てたいと願っております。
「耕雲の会」という名前には、もしかするとある種の無力感が漂うかもしれません。雲を耕すというのは、あまりに無意味で果てしないことですから。。。でも、自然に向き合い、そこに人間の思いを届けることは、もとより果てしなく無力な行為ではないでしょうか。そして、それでもやろう、という意志を込め、あえて「耕雲の会」と名づけました。
わずかな利益ではありますが、これは桜の「御利益 ごりやく 」として自然に「回向 えこう 」したいと考えております。
以上の主旨を踏まえたうえで、皆さんにご協力いただきたいことは、ただ一つしかありません。それは、桜の酒「拈華」を飲んで楽しんでいただくことです。
「拈華微笑 ねんげみしょう 」というのは、お釈迦さまが摩訶迦葉に伝法された際、一本の華を示され、それで微笑した彼にすべてを託されたという故事です。
微笑とは、今我々が想うモナリザのような「ほほえみ」ではなく、一説には声をあげての笑いだとも云われています。
どうか楽しく「拈華」をお飲みいただきますようお願い致します。
2008年 春彼岸 耕雲の会 橋 本 智 子 拝 |